地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2017年2月号 vol.3(2)

抗うつ薬で自殺は減らせるのですか?それとも増えるのですか?〜「死にたい」気持ちのふるさとについての考察も加えて〜

2017年01月22日 14:32 by 89089314
2017年01月22日 14:32 by 89089314
 
「死にたい……」と思ったことが全くない人はいないんじゃないかと思います。もちろん程度の差は大きいですけど、何か取り返しのつかない過ちをしてしまったとき、ものすごく恥ずかしい目に遭ったとき、未来に絶望してしまったとき……人は「死にたい」という感情を持つことがあります。
 この「死にたい」という感情は、おそらく人間だけが持ち得るのではないか?と思っています。動物には本来、生存のための本能が備わっていますから、自ら命を断つような行動は何らかの事故や異常な状態でもない限り起こりません。一方で人間は、誰かに教わらない限り食べることもままならないことから、本能が正しく機能していないという考え方もありますし、本能が機能しているとしても、理性というもので抑えることができる生き物でしょう。つまり、どちらにしても自分でよく考えた末に自殺行動を実行に移すことができるのは人間だけでしょう。

 さて、人間は誰でも自分の中に自我を持っています。自我というものを平たく言うと、「自分というのはこういう人間だ」と自分だけで思う自分です。「本来の自分」と言ってもいいかもしれません。それが「本来の」自分かどうかは実は誰にも分からないのですが、少なくとも他者の目を通さずに自分で無意識に作り上げたという点で「幻想の自分」と言うことができると思います。
 一方で、人間は一人では生きていけない生き物で、どんなに人と関わらない人でも少なくとも「家族」という社会で生きていく生き物ですから、どうしても他者との関わりが発生します。すると、その他者との関わりの中から見えてくる自分というのがあります。これは「自己」と呼ぶことができますが、現実というものは他者との関わりの中に存在するわけですから、この「自己」と呼ばれるものが紛れもなく「現実の自分」です。
 人間は生きているうちに誰にも影響されない「幻想の自分」と誰かとの関わりの中から見出す「現実の自分」という2種類の自分を抱えていることになります。

 そして、「幻想の自分」と「現実の自分」という2つの自分は時に対立します。というか、他者との関わりの中で生きる「現実の自分」にはやりたくてもやれないこと、できるはずなのにできないことがたくさん発生します。そのたびに「現実の自分」は傷付き、倒れるわけです。それを「幻想の自分」はどのような目で見るでしょうか。「幻想の自分」からの「現実の自分」の落差が大きければ大きいほど、激しく幻滅を感じるのではないでしょうか。
 私は、この激しい幻滅に耐えかねた「幻想の自分」が「現実の自分」を無かったことにしたくなる、消してしまいたくなる感情が、おそらく「死にたい」という感情の正体ではないかと考えています。だとすると、その2つの自分の落差を大きく感じると、人は誰でも死にたくなるわけで、決して異常な感情ではないということになります。

 とはいえ、実際問題として自殺を実行してしまうような状態というのは正常な精神状態ではない、とする意見もよく目にします。この観点に立てば、自殺を考えることは異常なことだということになります。異常だとすると、治療すべきなのでしょうか。治療すれば、死にたい気持ちは軽くなったり無くなったりするのでしょうか。
 この連載当初からの伏線であった「異常とは何か?それは薬で良くなるのか?」というテーマに今回は正面から切り込んでみたいと思います。
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