地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2016年03月号 vol.2(3)

「出会い」と、そこにある「希望」について

2016年02月20日 11:11 by spitzibara
2016年02月20日 11:11 by spitzibara

 先日、愛知県心身障害者コロニーこばと学園園長で小児科医の麻生幸三郎先生から、『小児内科』誌(2015年12月号)に先生が書かれたご論文を送っていただきました。「重症障害に対する療育、家族支援、社会支援」という特集に、「インフォームド・コンセントと権利擁護」と題して書かれたもの(p.2144-2146)です。

 麻生先生とは2014年秋に京都で行われた重症心身障害学会のシンポジウム「「利用者の権利・最善の利益と治療方針決定 ~重症心身障害医療における家族・医療現場の思いとディレンマ~」でご一緒させていただきました。その折の麻生先生のご発表内容は『日本重症心身障害学会誌』第40巻第1号に「重症心身障害児者施設における医療同意の問題」というタイトルで報告されています。

 今回の『小児内科』誌の論文も2014年のご発表内容に沿ったもので、2014年と同様、様々な家庭環境の中、自己決定能力が十全であることが稀な重症児者の医療をめぐっては本人の推定意思と最善の利益に基いて代理決定をせざるを得ないため、医療側は複数の人間で議論すること、決定にいたる経緯を記録し公開性を確保することの2点を提案する趣旨。ただ、2本の論文は、ほぼ同じ内容のものでありながら、いくつかの点で異なっており、その違いが私にはじんと心に沁みてくる論文でした。

 まず、タイトルの違いに象徴的なのですが、2014年の「重症心身障害児者施設における医療同意の問題」では本人同意が得にくい重症児者の特性を前提に、家族同意など代理決定をめぐる様々なジレンマが考察されていました。それに対して、今回の論文ではまず最初に、本人への意思決定支援の項目が立てられています。そして、意思決定支援によって本人の意思が尊重され、一度は決まっていた胃ろう造設が見送られた事例が追加されました。重症児者施設に移られ、食形態や姿勢の工夫によって経口摂取が安全に続けられているとのこと。

……表出が不十分なため、意思表明のみならず、理解、判断もできないと即断しがちであるが、実際には、かなりの判断能力を有していることがある。そうした例には、時間をかけ、最大限の意思決定支援を行い、意思を確認する必要がある」と書かれており、これは、タイトルに「権利擁護」が入ったこととも重なって、とても重要な一節だと感じます。

 自分で同意することができない人のケースでも、代理決定をしようとする人たちが「どうせ本人は分からないし決められないのだから勝手に決めていい」ではなく、「自分たちは誰のことを誰の代理で決めようとしているのか」と常に自らを問い返しつつ、謙虚かつ慎重な姿勢で代理決定に臨むためにも、とても大事なことのように思うのです。

 今回の論文の項目は、その次に「家族の代行」さらに「第三者成年後見人」へと考察が進んでいきます。そして「家族の代行」の項目には、「家族の考えが本人を医療で護る方向とは異なる」場合に、本人の利益を家族が代弁しているのか疑問に思えることがあると書かれた後に、次のくだりがありました。

 しかし、児玉は重症児の親の立場から、医師は「助けるために」という「点」で止まっているが、親は子どもが生まれてからのできごとのなかの「線」の問題として捉えており、「医学的に正しい医師の判断に親が理不尽な抵抗」をしているようにみえても、その裏には子どもの障害に傷ついてきた親の痛みがある、と述べている。そして、それを理解しようとする「共感」の姿勢をもってほしいと訴えている。医療側としては、単に否定するのではなく、対話の糸が切れないようにする継続的な努力が求められる。

 ここで「子どもの障害に傷ついてきた」と表現されている箇所については、2014年のシンポでの発表で私自身が語った言葉で補足すると、親にとって障害は常に「我が子から奪っていく者」「我が子に痛苦をもたらす者」でした、そういう体験を積み重ねてきた親にとっては、口から食べるのを諦めることは、まずこの子がこれまで奪われてきたあれやこれの先に追加されて、「この上まだ食べる楽しみまで、この子は奪われてしまうのか」という大きな深い嘆きなのです、という箇所でした。

 そうした一人の母親の訴えを、麻生先生が「否定するのではなく、対話の糸が切れないように」と受け止めてくださったのだと、そこの一節がじわ~っと心に沁みて来るのを感じながら、振り返ってみれば、麻生先生は出会いの時からそういう姿勢で接してくださったなぁ、と思い返されてくるものがありました。

 先生との初めての出会いは2014年6月の某日。上述のシンポの打ち合わせの席でした。お一人を除いて初対面の医師ばかり。しかも学会理事&施設長の方々。それだけでも気が張るのに加えて、シンポのテーマが「利用者の権利・最善の利益と治療方針決定 ~重症心身障害医療における家族・医療現場の思いとディレンマ~」だと知った時から、私の頭には「来たぞ、日本にも『無益な治療』論による命の切り捨てがついに表面化してきたっ」と警戒心が働いているものですから、極度の緊張状態で打ち合わせに臨みました。

 ところが、実際に打ち合わせの席で先生方のお話を聴いてみると、私の予想とまったく逆に、先生方にとって意思決定のジレンマの中心課題とは「医師がやりたい医療を親がやらせてくれない」ことみたいなのです。

 え……????

 警戒心で気負いこんでいた私は、肩透かしどころか、あまりの想定外の事態に、頭がとんでもなく混乱してしまいました。

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

「頑ななご家族」と言われがちな立場から、医療職にお願いしたいこと

2021年10月号 vol.7(10)

ウェビナーの前後にspitzibaraが体験していたこと 1: 「もうこれ以上できることはありません」

2020年07月号 vol.6(7)

ウェビナーの前後にspitzibaraが体験していたこと 2: 医師と患者の間で「対話」が成り立ちにくいのは何故なのだろう?

2020年07月号 vol.6(7)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2023年3月号 vol.9(3)

「世界なんて簡単に変わるはずがない」 多くの人は疑いようのない事実だと考えてい…

2023年2月号 vol.9(2)

渦中にいると気づかないぐらい ささいな判断の違いが 後になって大きかったとわか…

2023年01月号 vol.9(1)

人らしさ それは人間が持つ、魅力的で神秘的なもの。 その聖域が 人工知能(AI…