地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2017年05月号 vol.3(5)

「無益な治療」論再考1:「無益」と「潜在的不適切」

2017年04月18日 22:53 by spitzibara
2017年04月18日 22:53 by spitzibara

 1月号の記事「『無益な治療』論とDNAR指示」で書いた「無益な治療」論について、最近とても興味深い論文を見つけて読みました。「医学的無益」の定義をめぐる議論が新たに大きく動いているようです。そこに日本の「終末期医療」や「高齢者の医療」「尊厳死」をめぐる議論の危うさが、改めて透けて見える気がしましたので、今回は「医学的無益」概念について改めて。

  1月号で触れたように、「無益な治療」をめぐる生命倫理学の議論は延々と続いてきながらも、長く「医学的無益性」そのものに一致した定義はありませんでした。1月号で言及したアリシア・ウーレットは『生命倫理学と障害学の対話-障害者を排除しない生命倫理へ』(安藤泰至 児玉真美 訳 生活書院 2014、原著は BIOETHICS AND DISABILITY, Alicia Ouellette, 2011)において、これまでに登場した主な定義として、以下の3つを挙げています。

生理学的無益:たとえばウィルス感染の患者には抗生剤を処方しても望まれる生理学的効果は生じないので無益とする

質的無益:患者が人としてその治療から利益を得て、なおかつその利益を喜びとすることができないなら無益とする

量的無益:たとえば100回のうち1回しか効果が見込めないなど、治療の効果に一定の蓋然性がなければ無益とする

 その上で、ウーレットは「医師には無益な治療を提供する必要がないならば、臨床現場の問題として、また方針や法律の問題としても、『無益性』の定義についての合意があることが不可欠と思われる」が、実際には「無益性」はいまだに学問的にきちんと定義されていない(p.119)と指摘しています。

 このように定義が曖昧なままの「無益性」概念が医療現場で広まっていくことに対する大きな懸念が、私が「無益な治療」論を追いかけることになった根っこにあったわけです。

 例えば1月号で「最もラディカルな『無益な治療』法」として簡単に紹介した米国テキサス州の「テキサス事前指示法(TADA)」は、治療の中止を認める法律の適用対象を終末期あるいは不可逆な患者としています。TADAの「不可逆」の定義とは以下。

(A) 治療できる可能性はあるが、治癒することも取り除くこともできない。

(B) 自分のことを自分でできない要介護状態のままになったり、自分のことを自分で決められないままになり、同時に

(C) 汎用されている治療基準に即して提供される生命維持治療なしには死を免れない。

(ウーレット p. 109)

 しかし、この要件では、例えば四肢麻痺で人工呼吸器に依存している人や、重度の脳性麻痺で経管栄養に依存している人は当てはまる可能性があります。この曖昧さについて、ウーレットは「テキサス議会は、医療提供者が治療の提供を拒んでもよい状況を個別に定義する努力を放棄して、治療が医学的に見て妥当かどうかの判断を医学的アセスメントにゆだねているのである」( p.119)と分析しています。

 障害者運動からも「何が『無益な治療』かという点が、こんなにも曖昧なままでは、現行のテキサスの無益な治療法は、『QOL』を理由に重症障害のある人からいくらでも生命維持を差し控えたり中止したりしてよいと言っているようなもの」(ウーレット p.117 National Catholic Partnership on Disabilityの声明からの引用)との批判が出ています。

 私が「死ぬ権利」議論と「無益な治療」論が同時進行していく事態に一貫して指摘してきた危うさも、これまで何度か書いてきたように、「救命可能性」という指標がいつのまにか「QOL」という指標と混同されていく懸念にあります。

 最近、2015年に米国で「医学的無益」を定義する画期的なポリシー・ステートメントが出た、という情報に接したので、さっそく読んでみました。集中治療室(ICU)で患者や代理決定権者から、医療サイドとしては行うべきではないと考える治療を求められた場合に、どのように対応すべきかをめぐって論議があることから、米国の胸部学会、救命救急看護学会、胸部内科学会など複数学会が合同で検討委員会を立ち上げ、その検討から最終的に出されたポリシー・ステートメントです。

"An Official ATS/AACN/ACCP/ESICM/SCCM Policy Statement: Responding to Requests for Potentially Inappropriate Treatment in Intensive Care Units”

Gabriel T. Bosslet, et. al.

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