地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2017年11月号 vol.3(11)

「母乳」をめぐる個人的な体験 1:正しいけど逆効果になったアドバイス

2017年10月25日 08:28 by spitzibara
2017年10月25日 08:28 by spitzibara

 先月10月号の記事「『母乳かミルクか』問題と科学的エビデンスと『幸せ』を考えてみた」を書きながら、「母乳」つながりで頭によみがえってくる30年前の個人的な体験が2つありました。それは同じ号の編集後記でbycometさんが書いておられる「あたたかい医療」とはどんな医療なのか、という問題、あるいは昨年の特集テーマだった「医療と癒し」にも関係してくる体験のように感じるので、書いてみようと思います。

 30年前、娘の海はほとんど死んだ状態(アプガースコア2点)で生まれ、即座にNICUの保育器に入りました。生後3日目には胃穿孔の手術を受け、人工呼吸器と連日の交換輸血とで肺炎や敗血症と闘う日が続きました。もちろん娘はとうてい飲めるような状態ではなかったのですが、「お母さんの免疫をそのまま体内に取り込める母乳は赤ちゃんにとっては貴重な飲み物。飲めるようになる日に備えて冷凍しておいてあげるから、搾乳して持ってきなさい」と言ってもらい、その心遣いが温かく心に沁みました。自分だけが先に退院するのは寂しいですが、してやれることがあるなら頑張ろう、と思いました。その当時の搾乳をめぐる2つの体験です。

 NICUの娘のところには夫婦で毎日通っていましたから、家で搾乳し冷凍した母乳を持参するのは簡単なことなのですが、なかなか「はい、これをお願いします」と胸を張って渡せるほどの量にはなりませんでした。なにしろ生まれてきた我が子は保育器の中で「予断を許さない」状態が続いています。人工呼吸器で無理やり呼吸させられる胸はばっこんばっこんと板のように不自然に上下し、顔は赤黒く苦しそうでした。NICUからは頻繁に「緊急に交換輸血が必要。献血できる人を連れてきてください」と電話が入ります。真夜中に駆けつけたことも何度かありました。当時の私たち夫婦の精神状態を振り返ると、「過ぎていく一瞬一瞬を祈りで塗りこめながら暮らしているような」という表現が頭に浮かびます。そんな日々に、いくら奮闘してみても、NICUに持参できる母乳の量は日に日に減っていくのでした。

 NICUの小児外科医はお二人とも優しく温かいお人柄で、厳しく言われることはなかったのですが、若い方の先生は冷凍保存できる十分な量にならないことを残念に感じておられるようでした。時に母乳がいかに赤ちゃんにとって大切かを説かれ、「がんばって」と励まされることがありました。ただ、こればっかりは気合いで絞りだせるというものではないようなのです。私も少しずつ「母乳は?」と聞かれることが気重になり始めました。

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