治療の無益性をめぐる判断と、限られた医療資源の公平な分配(レーショニング)という2つの――頻繁に混同されるけれど本来は別の議論であるはずの――問題については、これまで以下の記事などで考察してきました。
「無益な治療」論とDNAR指示(2017年2月号)
「無益な治療」論再考1:「無益」と「潜在的不適切」(2017年5月号)
「無益な治療」論再考2:「医学的無益」と「分配(レーショニング)」(2017年5月号)
「無益な治療」を両親が望み続けたケース:「なぜ」への視点転換という希望(2017年6月号)
ここしばらくの間に、この問題に関連して考えさせられる報道があったので、そのうちの2つを紹介してみたいと思います。
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