この連載は、インターネット上に掲載されている医療・健康に関する情報に対して、医学的な専門知識を極力使わずに、国語力で情報内容の良し悪しを考えてみようという企画です。第3回目は、“そう主張する根拠は一体なに?” というテーマです。
第1回目で取り上げた“帰納の問題”では、少数事例や偏った事例が、広く一般に適用できるとは限らないことをお示ししました(第1回 帰納の問題と逆接の接続詞を参照)。少数事例や偏った事例は意見を支える根拠の一つではありますけど、それは意見内容を一般化できるほど強い根拠とは言えません。
また、第2回目では“事実”と“意見”の区別を取り上げました(第2回 事実と意見、議論の前提と主題を参照)。本稿で述べる「事実」とは、根拠とほぼ同等のものと考えても良いでしょう。根拠は意見の信憑性を支え、説得力を強化するために提示されるわけです。根拠に基づかない推測はただの憶測でしかありませんよね。
ところで、僕達は普段、根拠や理由という言葉の区別をあまり意識せず使っています。こうした言葉の厳密な区分はなかなか難しいように思いますけど、哲学者の野矢茂樹さんは「大人のための国語ゼミ」という本の中で、“「なぜ?」という問いに対する答えを全て「理由」と呼ぶ”ことを提案しています【1】。 そして理由の中でも、「なぜその結果が引き起こされたのか?」の答えを原因、「なぜそう主張することができるのか?」の答えを根拠としています【2】。
例えば、「なぜ転んだのか?」 に対する答えは「足元に石ころがあったからだ」という事になるかもしれませんが、この答えは根拠というよりは原因でしょう。ちなみに、原因と結果の関係を因果関係と呼びます。他方、「なぜワクチン接種が推奨されるのか?」に対する答えは「感染症の発症予防できる」という根拠に基づいています【3】。このように根拠を示して意見に説得力を与えることを論証と呼びます。
意見と共に、根拠が明示されていても、帰納の問題で見てきたような弱い根拠や、そもそも明らかに誤った事実を根拠としていることもあります。こうしたダメな根拠をいくら提示しても、主張されている意見内容の妥当性は保証されません。あからさまにダメな根拠はその真偽を判断しやすいかもしれません。しかし、なんとなく説得力のあるダメな根拠も少なくないのです。今回はダメな根拠の代表的な例として「循環論法」そして、「事前確率無視の問題」を取り上げます。
【脚注/参考文献】
【1】野矢茂樹.大人のための国語ゼミ 山川出版 p185
【2】誰かが何かをすることに対して「なぜか?」を返すのが『理由』、物事の結果に対して「なぜか?」を返すのが『原因』とも考えられます。
【3】根拠と原因を明確に区別できないという指摘もあります。例えば「なぜ花火大会が中止になったのか?」に対する答えとして「台風が接近しているからだ」という答えは原因でもあり、根拠にもなり得ます。
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