西沢 いづみ
京都の古い西陣地域には「おいでやす三寸」という言葉があります。まだこの町に、ガチャコンガチャコンと西陣織りの音が響いていた頃に生まれた言葉だそうです。西陣織を織っている最中に、客が「ごめんやす(おじゃまします)」と入ってくると「おいでやす(よくいらっしゃいましたね)」と愛想をして世間話をします。その間、手を休めてしまったことに気がつき、あの人さえ来なかったら三寸織れていたのに損をした、という意味です。出来高払い制だったことも影響しています。訪問先で「おあがりやす(家の中にあがってください)」と言われて、上がり込んでお茶をいただいて帰ったら、あとで「あの人“おいでやす三寸”や」と言われるわけです。それならば「忙しいから上がるな」と直接言ってくれたらいいのにと思いますが、そういうことではないのです。京都人特有の意地悪でもないのです。
実は「おいでやす、おあがりやす」と言われてすぐに帰るかどうかは、訪ねた側の判断力が問われているのです。それは相手の暮らしをよく見、よく知っているかどうかにかかってきます。相手の暮らしを尊重し大事にすることから、人と人との絆や関わりが始まります。
西陣の医療も住民の暮らしを知ることから始まりました。住民を診るということは、その地域での住民の生活や労働や環境をみることでした(早川・谷口ほか1976)。暮らしの中から医療が始まり、人と人との付き合いが芽生え、その関わりは組織として拡大し、これを背景に地域に軸足を置いた医療が展開していきました。単に地域に出て往診や訪問することが地域医療ではなく、施設内での治療中心の医療を補完するために地域医療が出てきたわけでもなく、ましてや、地域か施設かという二者択一でもありませんでした。地域に軸足を置いたからこそ、施設内の医療も発展していったのです。
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