地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2018年10月号 vol.4(10)

[特別寄稿] 「医療倫理と教育」ー病む本人が主治医ー

2021年09月16日 10:20 by bycomet
2021年09月16日 10:20 by bycomet

西沢 いづみ

 京都の古い西陣地域には「おいでやす三寸」という言葉があります。まだこの町に、ガチャコンガチャコンと西陣織りの音が響いていた頃に生まれた言葉だそうです。西陣織を織っている最中に、客が「ごめんやす(おじゃまします)」と入ってくると「おいでやす(よくいらっしゃいましたね)」と愛想をして世間話をします。その間、手を休めてしまったことに気がつき、あの人さえ来なかったら三寸織れていたのに損をした、という意味です。出来高払い制だったことも影響しています。訪問先で「おあがりやす(家の中にあがってください)」と言われて、上がり込んでお茶をいただいて帰ったら、あとで「あの人“おいでやす三寸”や」と言われるわけです。それならば「忙しいから上がるな」と直接言ってくれたらいいのにと思いますが、そういうことではないのです。京都人特有の意地悪でもないのです。  

 実は「おいでやす、おあがりやす」と言われてすぐに帰るかどうかは、訪ねた側の判断力が問われているのです。それは相手の暮らしをよく見、よく知っているかどうかにかかってきます。相手の暮らしを尊重し大事にすることから、人と人との絆や関わりが始まります。

 西陣の医療も住民の暮らしを知ることから始まりました。住民を診るということは、その地域での住民の生活や労働や環境をみることでした(早川・谷口ほか1976)。暮らしの中から医療が始まり、人と人との付き合いが芽生え、その関わりは組織として拡大し、これを背景に地域に軸足を置いた医療が展開していきました。単に地域に出て往診や訪問することが地域医療ではなく、施設内での治療中心の医療を補完するために地域医療が出てきたわけでもなく、ましてや、地域か施設かという二者択一でもありませんでした。地域に軸足を置いたからこそ、施設内の医療も発展していったのです。

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

[特別寄稿] エビデンスを説明することの不可能性

2022年11月号 vol.8(11)

モダニズムの解体に垣間見るエビデンスと現実の接点

2022年11月号 vol.8(11)

患者にとっての「エビデンス」とは

2022年11月号 vol.8(11)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2023年3月号 vol.9(3)

「世界なんて簡単に変わるはずがない」 多くの人は疑いようのない事実だと考えてい…

2023年2月号 vol.9(2)

渦中にいると気づかないぐらい ささいな判断の違いが 後になって大きかったとわか…

2023年01月号 vol.9(1)

人らしさ それは人間が持つ、魅力的で神秘的なもの。 その聖域が 人工知能(AI…