意思決定をする際に僕たちが参照している情報は、合理的に判断するために必要な全ての情報ではありません。例えば、“ある健康食品が体に良い”というテレビ番組を見て、その健康食品を買い求めようという意思決定を想像してみてください。その意思決定において参照されている情報は、テレビ番組の内容がほとんどであり、健康食品に関する様々な情報を集め、その有効性や安全性について、徹底的に吟味した結果ではありません。このように、問題解決の際、簡略化されたプロセスを経て結論に至ることをヒューリスティックスと呼びます。ヒューリスティックスは迅速な意思決定を可能にさせる反面、判断から合理性を奪います。
ヒューリスティックスに代表されるように、人間の意思決定は、常に合理的な価値観のみでなされるわけではありません。「人間が合理的であろうとしているにも関わらず、その合理性には限界がある」という考え方を限定合理性(Bounded Rationality)と呼びます。医療・健康問題を巡る意思決定においても常に限定合理性が関わってきます。それは患者のみならず、医療者もまたその影響下にあると考えた方が良いでしょう。
【意思決定における時間選好】
限定合理性が健康問題における意思決定に大きく影響を及ぼすものに時間選好(時間割引)があげられます。以下の事例を少し考えてみてください。
――「今日もらえる500万円」と「来年もらえる500万円」だったら、どちらを選びますか?
ほとんどの人が「今日もらえる500万円」を選ぶと思います。これはつまり、「今日もらえる500万円」よりも「来年もらえる500万円」の方が、価値を割り引いて認識していることになります。少々わかりにくいでしょうか。
「今日もらえる50万円」と「来年もらえる500万円」ではどうでしょう。ほとんどの方は後者を選ぶと思います。では「今日もらえる495万円」と「と「来年もらえる500万円」ではいかがでしょうか? 下の表を見ながら、いったいどこから「今日」ではなく、「来年」お金をもらうことを選択するでしょうか?
人は、多くの場合で、お金をもらえるなら早めの方が良い、という心理傾向を持っています。逆に支払うのであれば、なるべく遅めが良いと考えることが多いでしょう。これが時間選好と呼ばれるものです。将来の出来事に関しては価値を割り引く傾向にあり、時間割引と呼ばれることもあります。そして、価値の割引方(割引率)は人によってそれぞれ異なります。④のタイミングで「今日」を選ぶ人もいれば、⑤のタイミングで「今日」を選ぶ人もいるというわけです。
また、時間選好に関連して、人間は現状を変更する方がより望ましい場合でも、現状維持を好む傾向があります。これを現状維持バイアスと呼びます。これまで行ったことのない評判のレストランの前を通っても、なんとなく店に入るハードルが高くて、向かいの通い慣れた定食屋でご飯を食べていることは多いと思います。
医療・健康問題に関して限定合理性が顕著に見て取れるのは、ワクチン接種に否定的な意思決定をする場面があげられます。ワクチンの有効性は疾病の予防であり、その効果は今現在ではなく、将来に得られるものです。したがって、その有効性を割り引いて考えてしまうことは少なくないでしょう。逆に現在起こり得る副反応を重視しがちになります(時間選好)。さらにワクチンは健常状態時に接種されるものであり、“今現在元気なのだから、あえてワクチンを接種する必要がない(現状維持バイアス)” あるいは、“今まで疾患(例えばインフルエンザ)にかかったことがないからワクチンを摂取しなくても大丈夫だ(個人の経験のみで判断するというヒューリスティック)”といった、心理傾向が少なからず影響しています。
本稿では、限定合理性が臨床での意思決定にどのような影響を及ぼしているのか、具体例を挙げながら考察をしてきたいと思います。
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