新型コロナウイルス感染症が社会にもたらしているのは、感染症を超えた「何か」である。少なくとも熱が出るとか、咳が出るとか、重症化する可能性があるとか、そういったことだけではない。社会が、人の生活が、あるいは文化が大きく変わろうとしている。新型コロナウイルス感染症が終息したのちも、この変化は僕たちの生活に一定の影響力を残し続けるように思う。それは今現在の生活的価値観からすれば、健康ディストピアとも呼べるような潔癖的な社会かもしれない。
新型コロナウイルスの対策について検討を行う政府の専門家会議は5月4日、新たな提言を出した。現時点で新規感染者数は徐々に減少に転じてはいるものの、再び感染が拡大すれば医療提供体制に甚大な負荷が生じる恐れもあるため、緊急事態宣言を継続することが望ましいとしたうえで、新たな感染者の数が限定的となった地域でも感染拡大を長期的に防ぐため、「新しい生活様式」について具体例を示している【図1】【1】【2】。
【図1】専門家会議の「新しい生活様式」の実践例(参考文献1及び2より作成)
もちろん新型コロナウイルス感染症は、ある種の「マナー」で感染拡大が防げるものなかもしれない。しかし、こうしたマナーが社会全体のルールに変わるとき、生活の中から自由や文化のようなものが削ぎ落されていくように感じてしまう。感染拡大の抑止という「絶対善」の名のもとに消えていく僕たちの生活、そして文化。社会的ルールを逸脱しない限りにおいて保証される自由が、少しずつ狭められようとしている。本稿では健康第一の名のもとに消えていく文化や生活様式、そして生活を守るための科学的エビデンスに対する歪な認識構造を描き出したいと思う。
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