地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2021年09月号 vol.7(9)

臨床における意思決定と慣性の法則-第1回:臨床的惰性、その定義と概念

2021年08月04日 12:27 by syuichiao

【はじめに】
―ポリファーマシーの要因と減処方に対する障壁から

 多剤併用をめぐる問題群、いわゆるポリファーマシーが注目されて久しいですが、不適切処方に対する厳しい眼差しは、今もまだ健在だと思います。しかし一方で、医療者が不適切処方を中止するなど、ポリファーマシーの改善を図っても、人の生活にとって有益な影響が得られるかどうか、実のところよく分かっていません【1】。

  患者が抱く薬に対する関心や認識は、医学的な妥当性(例えばエビデンスに示された事実)とは少なからずギャップがあります。そして、このギャップが価値の多様性に対して否定的に働くことで、ポリファーマシーを問題とすることの困難さや、減処方を中心としたポリファーマシー介入に対する障壁が生み出されているように感じています。

  これまで、減処方に対する障壁について分析を行った研究は数多く報告されています。2020年には40研究を対象としたシステマティック・レビュー【2】が報告されており、このレビューでは減処方に対する障壁を「文化的要因」「組織的要因」「対人的要因」「個人的要因」の4つに分類しています【図1】。

【図1】減処方に対する主な障壁(参考文献2より作成)

  文化的・組織的な要因には、診断や処方に対する医療者の習慣、単一疾患に焦点を当てたガイダンス、マルチモビディティ高齢者における治療(ケア)エビデンスの欠如、コミュニケーションの欠如、意思決定システムが機能していない、ツールやリソース(医療資源)の欠如などが含まれていました。また、対人的・個人的な要因としては、職業上の権威勾配(医師‐薬剤師など)、断片的なケア、医療者と患者の関係性、個別ケアの欠如などが含まれていました。

  ポリファーマシーを論じるうえで不適切処方の存在は避けて通れませんが、それと同じくらい繰り返し用いられた言葉の一つに「薬の漫然処方」という概念があります。薬の漫然処方はマスメディアなどでも、「残薬の問題」として広く取り上げられたことは記憶に新しいと思います。

  減処方が難しい理由の一つとして、医療者と患者の双方で、この「漫然的に薬を処方する(される)ことの安心感」があることは間違いないでしょう。職業上の権威勾配や医師と患者関係性といった対人的要因も、漫然処方をもたらしうる要素です。あるいは、薬の有効性・安全性に関するエビデンスが限られていることや、医療資源が限られているような状況も漫然処方の原因となり得ます。

 本連載で注目したいのは、薬の処方行動において漫然を生み出している「力学的要因」です。この力学的要因は多くの人が経験したことがあるような、とても身近な状況と言えるかもしれません。何か新しいことをしようと思うと、なんとなく億劫になってしまい、とりあえず現状維持に努める……という心理状況がその良い例です。現状を基準とし、変化を受け入れがたく感じる心理傾向を現状維持バイアスと呼びますけど、漫然を生み出している力学的要因もそれに近いものかもしれません。あるいは意思決定における慣性の法則と言ったほうがイメージしやすいでしょうか。

  慣性とは「物体が常に現在の運動状態を保とうとする性質」のことで、英語ではinertiaです。慣性の法則は、外から力が作用しなければ、物体は静止または等速度運動を続ける、という性質を数学的に記述したものに他なりません。現状維持バイアスとは、意思決定における慣性の法則に近しいものであり、端的に言えば「惰性」、より身近な言葉を使えば「思考停止」です。

  医療者は現在の病状に対して適切だと考えるから薬を処方をするわけです。しかし、時間の経過とともに一部の薬は不適切処方と呼ばれるようになり、減薬することこそが正しいという認識に置き換えられていきます。ポリファーマシーを通じて、僕たちが手にした「適切な薬物療法」や「潜在的不適切処方」といった概念とは、概ねこのような価値観のもとに形成されたものでしょう。しかし、薬物療法はいつから不適切になるのでしょうか。そして、なぜその変化に気が付きにくいのでしょう。僕はこの問いの示唆となる概念こそが、臨床判断におけるinertiaだと考えています。

  あらためて考えれば、inertiaは臨床現場に満ち溢れています。しかし、この極めて一般的な問題を体系的に論じたコンテンツは限られているように思います。この連載では臨床判断における慣性の法則を様々な観点から紐解き、これまで僕らに見えていなかった臨床の一側面を照らし出してみたいと考えています。

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