寄稿記者:dongritaka
薬剤師
米津玄師の歌『PLACEBO+野田洋次郎』に以下の歌詞がある。
気の迷いじゃない 嘘じゃない想い
思い込みじゃない 嘘じゃない想い
≪米津玄師『PLACEBO + 野田洋次郎』 歌詞より抜粋≫
この歌自体は、突然恋に落ちる心情の変化を巧みな言葉選びとともに滑らかでアップテンポに歌い上げているものだが、歌詞の中にはプラセボという言葉は一切出てこない。しかし、日ごろからプラセボ関連トピックを漁っている私にとって、上記の一節だけで米津玄師はプラセボの本質を理解している!?と思えた。今回の地域医療ジャーナルのノセボ・プラセボ特集のBGMにいかがだろうか。それにしても、ラブソングでプラセボということは本命じゃない疑似恋愛なのか?というつっこみはまた別の機会に。
魔法をかける
私は北海道の地方都市の小さな病院で薬剤師をしている。私が関わる患者の多くは高齢で、複数の慢性疾患を抱えている方々だ。高齢になると、訴える身体症状のすべてを薬や治療で治せないことが多い。また、加齢や病気により薬の効き方や分解する能力に変化が生じるため、薬を使うことのリスクとベネフィットをより慎重に判断する必要がある。例えば、「眠れない」と訴える患者の要望に応えて睡眠薬を使用し、副作用で転倒して骨折…、などという医療職として最悪なシナリオは避けたいが、残念ながら稀なことではない。
検査でも特に異常が見つからない、標準の薬物治療でも症状が改善しない、または薬を飲む方がリスクの大きい患者に、時々プラセボ薬として薬効成分の含まない「乳糖」を使用することがある。使用目的は、不眠だったり、痛みだったりと様々だ。この時、医師は「よく効く安全な薬を出します」といって患者に説明し、薬剤師である私もまた同じ魔法の言葉とともに、白くて少し甘い粉薬を患者に渡す。そして、プラセボ薬を使用後に「症状が少し楽になった」、「よく眠れた」という患者の反応を見て、私はほっとすると同時にこの魔法はいつまで続くのだろうか、いつか誰かが魔法を解いてしまわだろうかと、一抹の不安を感じるのだ。
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