今回の誇り高きアマゾネスは柳原和子さんです。
柳原和子(やなぎはら かずこ)
1950年3月19日 - 2008年3月2日
ノンフィクション作家。東京生まれ。
著 作
『カンボジアの24色のクレヨン』晶文社 1986
『二十歳もっと生きたい』福嶋あき江著、柳原和子編 草思社 1987
『「在外」日本人』晶文社 1994 のち講談社文庫
『がん患者学 長期生存をとげた患者に学ぶ』晶文社 2000
『百万回の永訣 がん再発日記』中央公論新社 2005 のち文庫
がん治療と闘病(『がん患者学』)
1997.5 卵管がんを告知される。47歳。大学病院にて手術。母も47歳で卵巣がんで死亡している。
1997.6 全身化学療法。同時に漢方など代替療法を開始
2000 『がん患者学』を出版
2003.12 再発。全身化学療法
2005.1 骨盤内再発にて開腹手術
2005~2006 ラジオ波照射療法、放射線治療
2007.3.3 患者会主催公開講演会
2007.12 緩和病棟に入院
2008.3.2 永眠
はじめに
2007年3月3日、ある患者会の主催で柳原和子さんの講演会が開催されました。当時、わたしはがん専門病院の患者図書室で働き始めて2年目でしたが、「患者さんへの医学情報提供」とは別種の戸惑いや葛藤を感じ始めていました。柳原さんの話からなにかのヒントを得たいという期待を抱いて参加しました。
講演は素晴らしい内容でした。感謝と感動を伝えたい、なによりも、柳原さんと語り合いたいという衝動に駈られて、思い切ってメールを出しました。柳原さんが亡くなる前年の2007年3月~11月、柳原さんが12月に京都から東京に移られるまでの期間、メールのやりとりがありました。
10年以上過ぎ去った今、柳原さんのメールを読み返しているわたしの心に不思議な現象が起こっています。いつのまにか、柳原さんと対話のつづきをしている自分に気づくのです。
短期間のメール交換でしたが、先をゆく柳原さんの辛辣かつ逆説的な鋭い指摘と思索の深さについていくのは荷が重いと感じながらも、刺激的でワクワクする愉しい経験でもありました。
議論の相手を挑発して弱みや本音を引き出す一方で、誇りや矜持を吐露させる、柳原さんはそういう能力と技と魅力を備えたジャーナリストであり作家でした。とりわけ、自信に満ちた専門家に対してその得意技が発揮されました。ときに辛辣、ときに少女のようにかわいい柳原さんに、多くの人たち(専門家、患者、読者)は魅了されたのです。
わたしはいただいたメールを『百万回の永訣』の続きのように読んでいます。埋もれさせるには惜しいメッセージです。天国の柳原さんにお許しを願って、ここに掲載させていただきます。
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