アマゾネス3人目(最後)は上坂冬子さんです。
上坂冬子 (1930-2009)
1930年東京生まれ。トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)勤務などを経てノンフィクション作家に。昭和史・戦後史、女性問題に関する評論やノンフィクションを数多く発表した。
菊池寛賞、正論大賞受賞。
がん闘病
2005年 卵巣がん発見。卵巣、子宮、大網などを切除。
2008年8月 J医大病院にて再発確認。肝臓や肺に複数の転移巣。婦人科で抗がん剤治療。
2009年1月 消化器科・肝臓内科に移ると同時に「緩和ケア」を受けはじめる。
2009年4月14日永眠(享年78歳)
今回取り上げた作品
『死ぬという大仕事 がんと共生した半年間の記録』小学館 2009(のち小学館文庫)
はじめに
上坂冬子さんは15歳の女学生のとき終戦を迎えています。「NHK 戦争証言アーカイブス」で、当時の思い出をあっけらかんとほがらかに語る歯切れのよい語り口に思わず聴き入ってしまいました。少しの迷いもなく身体を鍛えてお国のために日々努めていた15歳の少女が、昨日までは目をつりあげて「なぐるわよ」とどなっていた女教師から、「明日からは民主主義です。スカートはいていいわよ」と目じりを下げて言われて仰天します。その場面を想像して思わず笑ってしまいました。語り口のほがらかさは戦争体験という屋台骨に根ざしていると感じました。このほがらかさは『死ぬという大仕事』にも通底しています。
『死ぬという大仕事』は、患者図書室ではどちかといえば男性に人気がありました。以下は、寄せていただいた感想です。
上坂冬子『死ぬという大仕事』。死の直前までがんと対峙し昨年死去。惜しい人を失った。自分の死を悟りもう生命がつきるとわかっていたのだろう、自宅を売り払った。次の日に買い手がついたという。上坂冬子は生涯独り身だったが、自分のことは自分で結末をつけた。死に親しんだ小生、自殺未遂を3回も繰り返したが、後年がんになり生命が惜しくなる。本を読む時間が欲しくなると生きたいとより思う。まさに読みたい本があり、そこに生きる時間があるのは幸せの極みといえるだろう。
4章からなる本書の見どころは、なんといっても病床で上坂さんが主治医や担当医相手にぶつけたインタビュー(1章~3章)です。ストレートに病状を聞き出す一方で、がん難民、緩和ケア、延命処置などの問題に鋭く斬り込んでいます。重く深刻なテーマなのに、会話の最中冗談さえ飛び交います。リラックスした雰囲気と上坂さんの巧みな話術で、息子ほど年の離れた医師との間に、まさしく「病気を診ずして、病人を診よ」の実践が実現しています。
ほがらかな「かけあい」の一部を紹介してみましょう。
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