はじめに
今月は特集号「エビデンスと現実をつなぐ」です。では、参りましょう!
ねこと学ぼう、おくすり情報 番外編「エビデンスと現実をつなぐ」
みに丸「なんですか、これ…」
はかせ「オーナーの書置きだ」
みに丸「去年も似たようなことがあった気がするけど」
過去記事
https://cmj.publishers.fm/article/24642/
https://cmj.publishers.fm/article/23632/
はかせ「秋の風物詩みたいなものだな。じゃあ考えてみようか」
みに丸「エビデンスと現実ですか…。ようわからん!」
~完~
みに丸「さて、ラーメンを食べに…」
はかせ「おい、勝手に終わらせるな。」
みに丸「だってよくわからないんだもん。ボスは何か意見がありますか」
はかせ「むぅ…。そう言われると…」
みに丸「そうでしょう、そうでしょう。さっさとラーメンを食べに行きましょう」
はかせ「まあ、待ちなさい。ちょっと考えてみよう」
みに丸「しょうがないボスだな」
はかせ「オーナーの指示だぞ。ボーナスを減らされたら困るだろう?」
みに丸「あわわわ…、それは困る!」
はかせ「『エビデンスと現実をつなぐ』かぁ…。2つの側面があるような気がするぞ」
エビデンス→現実
はかせ「まず①について話そう。論文として報告された研究結果などが科学的根拠となり、これを踏まえて医療が実践される。医療だけでなく政策などのありとあらゆる判断と行動は、根拠に基づくことが望ましい」
みに丸「何の根拠もなくテキトーに判断して行動するよりは、エビデンスに基づいて考えた方がいいってことですね。それが『エビデンスを現実に繋げる』ということだと」
現実→エビデンス
みに丸「じゃあ、②の方はどういう意味です?」
はかせ「”そのエビデンスは、現実を正確にとらえているか”」
みに丸「は?」
はかせ「エビデンスの本来の意味は『根拠』なので、ちょっと語弊があるかな。いわゆる論文として発表されたデータのことね」
みに丸「”その研究データは現実を正確にとらえているか”??」
はかせ「『研究データは現実の一部を切り取ったもの』って見方もできるだろう?エビデンスは神の啓示ではない。現実に起きたことを記録してまとめておくことで、似たような状況のときにはこうしたほうがいいねっていう感じで未来に生かそうっていうことだよね」
みに丸「現実の一部を観察して記録した研究データがエビデンス(科学的根拠)となるってことです?」
はかせ「語弊はあるかもしれないけど、そんなイメージだ。例えば、『ランダム化比較試験』は薬の効果を検証しやすい環境を実験的に作り上げて観察した”現実”だけどね。現象と言い換えてもいいかもしれない」
ランダム化比較試験:対象となる患者さんをランダムに2つのグループに振り分けて、片方のグループに薬を、もう片方のグループにプラセボを投与することで、プラセボ効果や自然経過を排除した純粋な薬の効果を見積もることができる。
みに丸「ふーむ…。現象を正確に記録する必要があると」
はかせ「そうそう。例えば、プラセボを用いておきながら、実は何らかの理由で薬なのかプラセボなのかが医師と患者さんにバレていたにも関わらず、プラセボ対照二重盲検試験です!…とした論文があったとしたらどうだろう?」
※盲検化:プラセボを用いてどちらの治療を受けているかわからないようにすること。
はかせ「プラセボであることがバレていた研究で痛みが10点満点中3点減少したというのであれば、『その薬の効果が3点減少』とは限らず、『プラセボ効果が上乗せされた薬の効果が3点減少』という評価が妥当と思われる。痛みに関してはプラセボ効果が発揮されることがこれまでの研究でわかっているからね。そこをスルーして、『この薬の効果は痛みを3点減少させる』として現実に繋げようとすると微妙にねじれたエビデンスを現実に繋げてしまうことになる」
みに丸「なーるほど。現象を正確に記録していない(盲検化が破れていたのに、その事実に触れずに記録された)エビデンスを現実に繋げようとすると、おかしなことになるってことですね」
はかせ「そうそう。プラセボ効果は致命的なバイアスってわけではないかもしれないけど、効果判定に必要な情報はしっかり記録しないとね。モノによってはとんでもないバイアスが隠れている研究もあるかもしれない。そのような研究は現象を正確に記録したデータとは言えず、ねじれた現象の記録なので、それを現実に繋げようとするとうまくいかないこともあるだろう」
読者コメント