地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2023年3月号 vol.9(3)

「医学中央雑誌」の父 尼子四郎  第3回:尼子四郎と夏目漱石

2023年02月23日 12:35 by shimohara-yasuko
2023年02月23日 12:35 by shimohara-yasuko

はじめに

 引用・参考文献

①尼子四郎 「猫」のモデル 近代作家追悼文集集成 第5巻:夏目漱石 P.194-196 ゆまに書房 昭和62(1987)年
②夏目漱石『吾輩は猫である』(1905- 1907)
③夏目鏡子『漱石の思い出』(1966年)
高橋正雄  夏目漱石の『吾輩は猫である』─続・文学にみる医師像 Web医事新報 No.4989 (2019年12月07日発行) P.60
⑤高橋正雄 漱石文学が物語るもの 神経衰弱者への畏敬と癒し みすず書房 2009
⑥漱石書簡集 三好行雄 岩波文庫
斎藤晴恵 尼子四郎と夏目漱石 医学図書館 53(1):60-64 2006 
漱石と広島 15:尼子四郎 「猫」に登場する家庭医 中國新聞(セレクト)2017.5.6 [医学中央雑誌刊行会]
長與又郎 夏目漱石氏剖検 日本消化器病学会雑誌 16(2):105-117 1917
夏目漱石デジタルコレクション 県立神奈川近代文学館所蔵

明治36(1903)年、夏目漱石と尼子四郎はそれぞれ千駄木に居を構えました。漱石は2年間の英国留学を終えて帰国したところで、4月から一高・東大の講師となります。36歳でした。一方、尼子四郎は「尼子医院」を開業しました。39歳でした。漱石は『吾輩は猫である』で作家としての第一歩を踏み出し、一方、尼子四郎は、「医学中央雑誌」を創刊します。両者ともに人生における一大画期をなした時代でした。二人の家は近く、尼子は漱石一家の家庭医になります。

 

1.尼子四郎が語った夏目漱石の思い出

漱石と尼子の間には医師と患者という関係以上の交流があったと想像していますが、実証できる資料は多くはありません。その中で、尼子四郎自身が漱石とのつきあいを語った貴重な文章が残っています。いくつかの発見がありました。一部、引用させていただきます。


「猫」のモデル 尼子四郎

漱石さんが「猫」を書いていた36年ごろは、千駄木の私の医院の近くに居たものだから、お互いに懇意にして話に行ったりしたが、私などは、何もこれと言って話の種があって行くのではなく、ただ呑気に遊びに行くだけであった。長い間繁々と行っていた。

千駄木に居たころから胃の方が悪いと言って、私なども診たこともあったが、それより私の注意を惹いたのは、漱石さんの心理上における医学上のおもしろい現象であった。いわば一種病的な現象なのである。わたしは絶えず、それから目を離さなかった。寺田虎彦氏などもこの心理上の現象は認めていて、時々私と語り合っていた。

私などから見た、漱石さんは、怒ったことも、不機嫌なこともなく、つねに微笑をたたえた人で、こちらが天真爛漫で行けば、あの人の家ほど行きやすいところはなかった。寺田虎彦さんなども、漱石さんの家が唯一の遊び場所であったのが、亡くなられてからは遊び場所がなくなったと言っておられる。

私のことは「猫」の中に、甘木医師として書いてあるそうだ。あの時分千駄木の家に黒い大きな猫がのそのそ歩いていたが、ある時、私が「これがそうですか」と尋ねると漱石さんはこれじゃない、と言っていた。

博士号の問題の時も、私が、有効な清涼剤ですね、と言うと、漱石さんはただ笑って、君もそう思ってくれているか、と言ったばかりで、別に説明などをしなかった。一体に自分のしたことを説明しない人であった。

文献① 尼子四郎 「猫」のモデル 近代作家追悼文集集成 第5巻:夏目漱石 ゆまに書房 昭和62(1987)年

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