地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2020年10月号 vol.6(10)

「間違える医療」の正しさ

2020年09月30日 11:55 by kangosyoku_no_ebm
 
”効果があるはずの新薬のエビデンスが、いつの間にか消えている、効果がないばかりか害があるとわかる、といった経験がしばしばあります。”
 
 これは、今回の特集号のテーマについての説明として編集長から送られてきた内容の一節です。
 
 「確かによくあるよなぁ」とこれを読んでいて思いました。
 
 最近では、COVID-19関連の論文がとんでもないスピードでpublishされていたり、プレプリント(査読を通過する前の論文)が拡散されていたりしましたね。
 
 ただ、そのスピード故か、取り下げられる論文もそれなりにありしました。
 
「アビガンが効くかもしれない」
 
「抗マラリア薬も効くかもしれないし、予防的に飲んだほうが良いのかもしれない」
 
「BCGワクチンが作用しているのかもしれない」
 
 そんな様々な憶測もワイドショーやSNSで飛び交いましたし、以下のようなニュースも報道されていました。
 
「コロナ論文撤回、相次ぐ 緊急時に揺らいだ科学への信頼」[1]
 新型コロナウイルスの感染拡大は、世界の社会・経済に大きな打撃を与えた。だが影響はそれだけではない。未知のウイルスと戦うために必要な科学への信頼を揺るがす不祥事も相次いだ。(ワシントン=香取啓介)
 英ランセット、米ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)という世界のトップ医学誌2誌が6月上旬、同時に論文を撤回した。
 
 
 勿論、不正は許されざることです。
 
 それに、出来ることなら「間違えない医療」の方が患者としては嬉しいかもしれません。
 
 でも、実際の医療の現場では様々な「間違い」が日々発生しています。
 
 では、「間違える」とはどういうことなのでしょうか?
 
 「間違えられる」とはどういうことなのでしょうか?
 
 仮に「間違えない医療」があったとして、そっちの方が本当に良いのでしょうか?
 
 本稿では、医療の現状を踏まえつつ、「間違えること」について考えをまとめてみたいと思います。
 
 
 
 
 これまでも、医療の歴史は間違いの連続でした。
 
 例えば、「瀉血(しゃけつ)」という治療があります。 
 
 これは血液を外部に排出させることで症状の改善を図る治療法の一つで、その昔、「病気になるのは血の中に何か悪いものが入っていることが原因で、血を出せばきっと良くなる」と世界中の多くの医師が有効だと信じていました。 
 
 アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンが急性喉頭蓋炎を発症した際、それに対して当時最も権威のある医師が行った治療も「瀉血」だったとされています[2]〜[4]。 
 
 これは極端な例かもしれませんが、今でも「何もしないより何かする方が良いだろう」と考える人は多いでしょうし、それらしい理屈があれば納得することも多いのではないでしょうか。
 
 こんな風に、「きっとこれは効果があるんだ!」と今現在信じられている治療も、100年後の人類からすれば「なんであんな治療をやってたんだろう」と言われてしまうようなものだったりするのだろうと思います。
 
 効果があると報告されたものが覆されること自体は患者にとって決して嬉しいことではないでしょう。
 
 ただ、「効果がある」と報告した後でも「もう一度検証したらやっぱり効果がなかったです」「害の方が大きいかもしれません」ときちんと言えることはすごく大事だと思います。
 
 事実は常に暫定的で、いつも修正可能性を帯びている。
 
 それこそが、科学が科学たる所以なのではないでしょうか。
 
 我々は間違えます。 それは「間違えても良い」ということを意味しませんが、どれだけやっても間違いからは逃れられません。
 
 哲学者のカール・ポパーは著作の中で以下のように述べています[5]。
 
「すべての誤りを避けることは、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、不可能である。誤りはあらゆる科学者によってたえず犯されている。誤りは避けることができ、したがって避けることが義務であるという古い理念は修正されねばならない。この理念自身が誤っている」
 
「もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何びとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。直感によって導かれる創造的な科学者にとっても、それはうまくいくわけではない。直感はわれわれを誤った方向に導くこともある」
 
「われわれは、誤りから学ばなければならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、感謝の念をもって受け入れることを学ばなければならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを起こしたことがあることをいつでも思い出すべきである。またわれわれは最大級の科学者でさえ誤りを犯したことを思い出すべきである。もちろん、わたくしは、われわれの誤りは通常は許されると言っているのではない。われわれは気をゆるめてはならないということである。しかし、繰り返し誤りを犯すことは人間には避けがたい」
 
 
 これらは非常に示唆に富む重要な指摘だと思います。
 
 ポパーは徹底して「間違わないことは不可能である」と述べていますね。
 
 これは感覚的にも一致します。
 
 どれだけ間違えないように注意しても、やはり間違いは起こる時は起こるのです。
 
 では逆に、「絶対に間違えない」のはどういう時でしょうか?
 
 「間違えられる」とはどういうことなのでしょうか?
 
 あるエピソードを元に少し考えてみましょう。
 
 
【参考文献】
 
[1] 朝日新聞デジタル. コロナ論文撤回、相次ぐ 緊急時に揺らいだ科学への信頼  2020年7月15日 10時00分(2020年7月29日アクセス)
 
[2]Scheidemandel HH. Did George Washington die of quinsy? Arch Otolaryngol. 1976 Sep;102(9):519-21.
 
[3]Cohen B. The death of George Washington (1732-99) and the history of cynanche. J Med Biogr. 2005 Nov;13(4):225-31.
 
[4]Stavrakis P. Heroic medicine, bloodletting, and the sad fate of George Washington. Md Med J. 1997 Nov-Dec;46(10):539-40.
 
[5]カール・R. ポパー. よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書) p319-321
 
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