はじめに
医中誌Webの前身にあたる医学中央雑誌は、明治36年(1903年)市井の医師、尼子四郎によって創刊されました。昭和3年(1928年)以降は、長男富士郎に引き継がれました。富士郎没後も、時代の変遷とともに冊子からCD-ROM、さらに医中誌Webへと形を変えながら成長・発展を続け、医学界に多大な恩恵をもたらしています。
医学中央雑誌の誕生・成り立ち・歴史 などに関しては、以下の文献・サイトが参考になります。
参考文献
①宮野昌明 医学中央雑誌の成り立ちとその概要 医学図書館 1999; 46(3): 282-286
②藤島隆 尼子四郎と「医学中央雑誌」の誕生 北の文庫 13号:7-23 (1987.12) 札幌・北の文庫社
③松田真美 医学中央雑誌110年の歴史を振り返って 薬学図書館 60(1):71-80 2015
④医学中央雑誌刊行会のあゆみ(医学中央雑誌刊行会)
⑤医学中央雑誌刊行会 歴代理事長 (医学中央雑誌刊行会)
⑥門川俊明 医家向け電脳道具箱その弐「医学中央雑誌刊行会訪問記」医学のあゆみ Vol220 No.7 2007 588-591(「研究留学ネット管理人のブログ」にて転載)
私の最大の関心事は、尼子四郎がなぜ「医学中央雑誌」を創刊したのか。いかなる志を抱き、どのようなアイディアやビジョンを持っていたのか。ということです。自叙伝が東京大空襲で失われたことはとても残念ですが、なにかヒントになりそうな尼子四郎自身のことばに出会いたいと思っていました。
そんなとき、医学中央雑誌刊行会のサイトで、以下のページをみつけました。
医中誌アーカイブとOLD医中誌(医学中央雑誌刊行会)
「2011年10月、<国立国会図書館デジタル化資料>の一コンテンツとして、1903年発行の創刊号から1983年3月発行分までの医学中央雑誌バックナンバー全ページの画像ファイルが公開されました。この完全公開は、医学史などの研究者らに高く評価されました」とあります。
さっそくアクセスして、デジタル画像をめくってみました。「医学中央雑誌」に対する尼子四郎の熱い思いが伝わってくるようで、リアルな感動を覚えました。
「国立国会図書館デジタルコレクション」
醫學中央雜誌 = Japana centra revuo medicina【全号まとめ】
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