地域医療ジャーナル ISSN 2434-2874

地域医療ジャーナル

2017年03月号 vol.3(3)

開かれた医療とその敵-最終節:開かれた医療へ

2017年02月16日 14:57 by syuichiao
2017年02月16日 14:57 by syuichiao

 ニセ医療あるいはトンデモ医療などと言われるような、根拠のない医療情報はしばしば問題となる。2016年末、運営が無期限中止に追い込まれた医療系情報サイト、「WELQ(ウェルク)」の問題は記憶に新しい。WELQに限らず、ニセ医療と言われるような情報はネット上にあふれており、少なからず医療現場や人々の価値観に影響を及ぼしている。

 ところでニセ医療情報と真っ当な医療情報の違いはどこにあるのだろうか。言い換えれば、ニセ医学情報の内容は誤りであり、真っ当な医療情報の内容は正しい、とする判断基準はどこにあるのだろうか。一つには記述内容に対して、その主張となる根拠をしっかりと明示しているか否かという点が挙げられるかもしれない。

 しかしながら、記載内容の正しさ、つまり真理性の観点からいえば、たとえ科学的根拠、つまりエビデンスに基づく医療情報であっても、それが常に正しい情報であるという保証はない

『われわれは真理の追求者であるが、真理の所有者ではないのだ』
カール・R. ポパー 客観的知識―進化論的アプローチ  p56

 イギリスの哲学者、カール・ライムント・ポパー(1902~1994年)も述べている通り、最新のエビデンスを網羅的にレビューした診療ガイドラインの記載事項でさえ、その真理性が担保され情報というわけではなく、数年後には否定的なエビデンスが出ていることは十分にありえる。

 実際、システマテックレビュー論文100件の生存解析をした論文(Ann Intern Med. 2007 Aug 21;147(4):224-33.PMID: 17638714)によれば、 中央値5.5年[95%信頼区間4.6~7.6]で情報更新の必要性があると報告されている。また、100件のうち23%は2年以内に更新の必要性が、15%は1年以内に更新の必要性があるという結果である。さらに7%においては、レビュー報告時に既に更新の必要性が示されているという状況である。(とはいえ、この論文自体が10年前の報告なので、これらの結果でさえも訂正可能性を有するということではあるが…)

 このような観点からすると、ニセ医療情報と、真っ当な医療情報の違いについて、記載内容の真理性では明確に区分することができないように思われる。これは、非常に大事なことである。つまり、ニセ医療情報だろうが、真っ当な医療情報であろうが、それをただただ盲信している限りにおいて、医療における価値判断の構造は同型であるということだ。こうした主張には批判的な意見もあるかもしれない。科学的根拠に基づいた医療とニセ医療が同型とはいったいどういう事なのか、疑問に感じる人は少なくないだろう。

 筆者がここで同型と呼ぶのは、情報の適用に対する人間の「態度」である。ニセ医療情報だろうが、真っ当な医療情報であろうが、その情報の真理性について、明確な区分を設定できない以上、重要なのは、情報に対する人の取るべき態度である。「開かれた医療」へ向かうためには、客観的医療情報に対するその向き合い方が肝要なのだ。ニセ医療情報がなぜ一般の支持を受けることに繋がるのだろうかと考えてみてほしい。それは必ずしも一般の人が医学的知識に精通していないからではない。それは、ニセ医療情報はある種の「明確性」を帯びているからなのだと言える。「~すべきではない」「~すれば治る」など、これはある種の診療ガイドラインの記述体型と程度の差はあれ同型とはいえないだろうか。そこに差異を見出すとするならば、主張の真理性を支えるであろう、根拠論文の提示だろうが、そもそもエビデンスが絶対的に正しいという保証はないことは先にも述べた。したがって、記述の真理性のみで、ニセ医療情報と真っ当な医療情報を区分することは極めて困難であり、ニセ医療情報は医療従事者でさえも、盲信してしまう可能性が十分にあるということに注意されたい。それでも違和感が残る人は、風邪に対する抗菌薬の使用などについて、改めて考えてみると良いだろう。はたしてこうした医療はニセ医療なのか、それとも真っ当な医療と言えるのだろうか。

 要約しよう。医療における客観的知識に対して、それを盲信する限りにおいて、ニセ医療情報であれ、真っ当な医療情報であれ、そこから導かれる価値判断の帰結は同じ構造を有する。それはつまるところ「~すべきではない」あるいは「~すべきである」と言うような明確な価値判断をもたらすということである。なお、明確な記述体型の背後に物事の真理性を垣間見てしまう傾向があることについては「第3節-流転する万物の背後に潜む闇-」を参照されたい。

 明確な判断基準はつまるところ、臨床判断の多様性を奪う事はこれまでにも繰り返し述べてきた。そして明確性を追い求める思考プロセスの果てにあるものが、本連載で論敵に設定した「閉ざされた医療」への入り口なのだ。しかし、現実の医療はむしろ曖昧性を嫌い、明確なもの、つまり閉ざされた医療へ向かう傾向にあるという事は、全部とは言わないまでも、その一部を否定することは難しいだろう。

 医療における価値判断において、客観的知識を妄信することは、ある種の信仰的態度と構造的に差異はない。それは明らかに科学的態度ではない。医療は信仰的態度で提供されるべきではなく、当たり前であるが、そこには科学的態度を要請される。そして科学的とはどういう事か、ここに閉ざされた医療からの乗り越えのヒントがある。

『科学の方法は大胆な推測とそれを反駁しようとする巧妙で厳しい試みの方法である』
カール・R. ポパー 客観的知識―進化論的アプローチ  p94

 本稿では、「閉ざされた医療」からの脱却と「開かれた医療」への近接を目指すために、客観的知識に対する方法的態度を、ポパーの3世界論、及び批判的合理主義を手掛かりにして考察する。

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