はじめに
村瀬孝生 『シンクロと自由』
(シリーズ ケアをひらく)
医学書院 2022年
書名が魅力的だ。2種類の期待を抱いた。予感が的中する期待と予想を裏切られる(超えられる)期待。その両方が満たされた。
私は現在76歳。目覚めるたびに自分の年齢を思い出して信じられない思いにかられる。正直、がっくりくる。同時に、そういう自分に我ながらあきれもする。
周囲の人を「強い人」か「弱い人」、「現役の人」か「リタイアした人」、「ケアをする側の人」か「ケアされる側の人」、無意識のうちに、そのどちらかに分類している。
『シンクロと自由』の読者には前者が多いだろう。つい最近までは、私もそちらの側にいた。しかし、時の流れは容赦がない。いまや、私の日常のなかに、「ケアされる側」への移行、その先にある「死」が避けられない現実として居座り始めている。
著者の村瀬さんはあとがきに「長生きしたい、老いて衰えることを実感したい」と書かれている。ありがちなマユツバでは?と疑った。しかし、読了して、本気が信じられた。
1.村瀬さんのシンクロ能力
古今東西、あまたの先人たちが、あらゆる学問、科学、芸術の分野で「人間とはなにか」というテーマに挑み続けてきた。村瀬さんはケアの領域からそのテーマに迫った。共通する能力の一つがシンクロする力だ。
『シンクロと自由』のなかには専門的、分析的、解説的な用語はみあたらない。それでいて、村瀬さんが物語るシンクロは、シャーロック・ホームズの推理のように精確だ。一方で、イエス・キリストのたとえ話にも似ている。シンプルで深いメッセージ性がある。
村瀬さんは自らの矜持を次のように謙虚に述べている。
ケアのリーダーは、みずから「わたし」の崩壊と再生を言葉にすることで、暗黙の了解化したタブーから現場を解放し、スタッフの再生を祝福するお坊さんのようなものだ。
「あなた」と「わたし」の真剣勝負がシンクロして「わたし」と「わたし」に溶け込む瞬間がある。そこに、詩とユーモアが生まれる。本書はまさしく「文学」だ。
村瀬さんのシンクロは、態度と言葉で表現される。本書からその一部を挙げてみよう。( )は私の蛇足である。
読者コメント