正しい医療の在り方は、権威ある学術団体が、質の高いエビデンスを用いて、妥当性の高い方法論で作成した「診療ガイドライン」に存在する、という考え方がある。近年、Grading of Recommendations Assessment, Development and Evaluation(GRADE)と呼ばれる方法論で作成された診療ガイドラインが最も質の高いガイドラインと言われることもあり、そこで推奨されている事項が、現時点における最も一般的で妥当な医療判断であろう、という印象を植え付けている。

 GRADEは、エビデンスの質と推奨の強さを系統的に評価する方法論であり、現在、多くの学会や学術関連グループで採用され、システマティックレビューや診療ガイドラインの作成のための標準的なアプローチとなりつつある。本稿ではGRADEの方法論そのものを批判するつもりはない。GRADEアプローチは、確かに洗練された方法論だと言える。しかし、開かれた医療で強調したいのは多元性であり、GRADEアプローチは「開かれた医療」とは相いれない。

 薬剤効果という現象をエビデンスに基づいて考察していくと、そこにあるのは混沌とした世界である。たとえ強く推奨されるような治療といっても、誰かの認識にとっては自明なことではないかもしれない。薬剤効果をエビデンスにより定量化することで浮き彫りになるのは「薬剤効果の曖昧性」に他ならないが、GRADEはこれとは対極的な方向に舵を切る。薬剤効果に関する統計的記述の妥当性を推奨という仕方で分節する、GRADEアプローチがもたらすものはある種の明確性である。

 分かりにくいだろうか。これは小説に例えると良い。ある小説に秘められたメッセージは「これこれこういうことだ」と権威ある文芸評論家が言ったとしよう。すると、この小説に秘められたメッセージは「これこれこういうこと」という記述は文芸評論家の権威が大きいほど、強い推奨度をもって、明確になると言えるかもしれない。しかし、小説の解釈など、本来あらかじめ決まっているものではないだろう。どんなに権威のある文芸評論家だろうが、小説の解釈は、その評論家自身の認識にすぎず、私の認識とは全く異なるものであり、そんなものを押し付けられたところで、私は私の仕方で小説を解釈するだろう。つまり小説の解釈の仕方を明確にすることなど原理的に不可能なのだ。異論はあるかもしれないが、薬剤効果現象に対して、”GRADE~推奨”という流れは、権威ある文芸評論家の認識を、あたかも自明の存在のように誰かに押し付けるようなものとも言える。こうした明確性は多くの人に受け入れやすいものではあるが、開かれた医療にとっては、多元性を奪うものであり、大いなる敵である。

 本稿では、学会の推奨というような権威を例に、それに基づく医療が遂行されている実態を暴き、それに抗う「開かれた医療」の形を模索したい。



この記事は登録読者だけが閲覧可能な内容を含みます。続きを読むにはPublishers IDによる読者登録が必要です。