[観点がもたらす全体主義傾向]
コトバで思考するということは、現実世界を頭の中で描きなおす、つまり解釈することに他ならないが、僕たちはコトバを用いることで、ある特定の観点から頭の中に写しとられた風景のコントラストを上げていく。どういうことか。写真が好きな人は想像してみてほしい。画像修正ソフトウエアに搭載されたコントラストの調整バーをスクロールさせ、コントラストを上げていくと、明暗の区別が鮮明な風景に変化していく。光の濃淡はそのグラデーションを失い、輪郭が明確になっていく。つまり混沌とした世界をコトバによって切り取り、頭の中でそれを鮮明に概念化することでこの世界を解釈していくということだ。
しかし、コトバで思考していく過程で変化するコントラストは、実際の世界(実在)ではなく、我々の頭の中にある風景(認識)である。この世界で起こりうる様々な現象に対して、僕たちはコトバでカテゴライズし、世界を認識論的に解釈していく。その解釈の仕方は、ソシュールに指摘されるまでもなく、原理的に恣意性を帯びており、それはその時々の社会的背景、個々人の思想により、つまり「観点」により切り取られ方が異なると言える。
こうした「観点」は、おおよその世界象を把握するためにしばしば重要であるが、ある種の権威ある「観点」が唯一の真理だという方向に傾いていくことは危険である。それは権威的観点こそが正しい世界の在り方であり、それに異を唱えることは、"素人考えにも程がある”というように非権威的観点を徹底的に排除する方向に振れていく。こうした傾向は、価値の多様性を否定し、つまるところ全体主義の様相を呈してくるともいえないだろうか。
[流転する万物の背後に潜む闇]
あらゆる現象は変化する。人が体感できる時間的尺度、認識能力を無視すれば、この世界に存在する事物は決して不変ではない。ヘラクレイトスの言葉を借りれば「万物は流転する」ということになろう。しかし人は、そこに不変の統一的法則(自然法則であれ、心理法則であれ)を見出そうとする。ニュートン力学、相対性理論から量子力学、そして超弦理論に至る物理法則は、物体とその運動という現象の背後に存在する、普遍の形式を記述しようとした思索の歴史でもある。
こうした現象の本質を記述しようとする営為はプラトニズムに他ならない。あるものを"それ”たらしめている本質、つまり「イデア」を現象の背後に見出そうと言う試みこそが、正しい解釈の仕方であり、そのような観点から垣間見える世界こそが真理である、というような考え方は、医学、薬学分野にとどまらず、あらゆる自然科学に共通する常識的な価値観であり、違和感のない思想かもしれない。
全ての変化を駆動する力とは何か、プラトニズムの恐るべき点はその理論をあぶりだそうとする探求の中にある。そしてどのような理論であろうとそれが「正義」と結びつく点をカール ポパーは危惧した。(※)
『簡単に言えばプラトンは、変化は悪であり、静止は神聖であると説いているのである(開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文p54)』
『プラトン流の正義の定義の背後には、基本的には、全体主義的階級支配の彼の要求とそれを実現しようとする彼の決定がある(開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文p101)』
プラトンのいう正義とは、支配者が支配し、労働者が労働し、奴隷が奴隷として働く諸階級の関係に基づく不変の国家であり、それは「イデア」に近い。
『プラトンはその徹底的な集団主義ゆえに、人々が普通正義の問題と呼んでいる諸問題、すなわち個人間の対立する要求を公正に比較考量することには関心さえ持っていない。…(中略)…彼にとって正義とは集合体の健康、統一、安定以外の何ものでもないのである。(開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文p114)』
臨床判断に「イデア」を探求してしまうのも、人間の脳のクセだからしょうがない、といってしまえば身も蓋もない。しかし、すべての臨床判断がプラトニズムに染まれば、多様な価値観を受け入れていく余地は少なくなっていくだろう。「開かれた医療」はそうしたプラトニムズ的臨床判断の対立軸として機能することで、多種多様な価値観を受け入れる余地を生み出すだろう。
(※)ポパーによるプラトンの否定的な解釈もまた一つの権威的観点かもしれない。プラトンがイデアに正義を重ね合わせたのも、こうした階級的な普遍性を維持することでしか、平和的秩序を保てなかったという時代背景を考慮する必要がある。(これはホッブズによるリヴァイアサン構想も同様に考えねばなるまい)つまり、われわれ現代人の「観点」からプラトニズムを批判するというのは、プラトニズムの核心を捉え損ねている。とはいえ、本稿で以後、展開する議論においてポパーの主張から得られる示唆は多く、決して軽視できる問題ではないようにおもわれる。従って、プラトニズムの是非をめぐる議論については立ち入らない。
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